江戸時代のスーパーボランティア伊能忠敬

伊能忠敬TRIVIA

スーパーボランティアといえば、尾畠春夫(おばた はるお)さんですが、鮮魚店を辞めてから日々ボランティア活動に努められ、2018年8月15日に山口県大島郡周防大島町で行方不明の2才児を救出するという偉業とともに全国に知られる存在になりました。それまでも献身的なボランティア活動をされており、生き神様と言っても過言ではない方です。
江戸時代にも尾畠さんのようなスーパーボランティアがいました。それはみなさんご存じの伊能忠敬(いのうただたか)です。

江戸時代のスーパーボランティア伊能忠敬

100年使われた地図

伊能忠敬(いのうただたか)といえば、17年をかけて日本全国を測量してまわり伊能図こと『大日本沿海輿地全図』を完成させ国土の正確に表した人として有名ですが、この地図は幕府に献上されてから一部追加記入はあったものの約100年もの間(昭和4年(西暦1929年))まで公(おおやけ)に使用されました。
幕府に献上されてから100年、政治・経済・軍事上でどれほど日本の近代化に貢献したか計り知れない偉業です。

1783年天明の大飢饉が発生

天明三年(1783年)、浅間山が大噴火し死者2000名を出し、関東全域が降灰による大凶作になり、東北でも凶作により餓死者が続出しました。これがその後5年間続く天明の大飢饉の序章だったのですが、伊能忠敬が住んでいた、佐原(千葉県佐原市佐原)では、凶作の上に洪水も発生しており悲惨な状況でした。

そのような惨状で忠敬が行ったのは、無償で炊き出しを行い、地域の人を救って佐原では一人も餓死者を出しませんでした。
これは忠敬が、豪商とも評される経営手腕に長けた商人だったこともありますが、長い飢饉で苦しむ多くの人々を救う行為は簡単な事でありませんでした。

この功績から、忠敬は苗字帯刀が許され天明四年(1784年)8月に名主を免ぜられて村方後見(むらかたこうけん)に任じられました。村役人であり凶作対策や水防工事を担当させられることになりました。天明の大飢饉が続く中、忠敬は関西から大量の米を買いつけて回漕(船で運送すること)して大きな利益を上げると、同時に炊き出しや薬を無料で配るなどして、他の資産家にも呼びかけて佐原の窮民数千百戸を救いました。

忠敬は『公的意識』が強く、現代に置き換えるとボランティア・社会貢献活動に積極的でした。

この後、隠居し、私財を投じて4000万歩の測量の旅に出る忠敬、
まさしく江戸時代のスーパーボランティアじゃないでしょうか。